こんにちは、はっちゃんです。😀
昨日、思いがけない再会がありました。
買い物に出かけた先で、私が社会人1年目のときに勤めていた保育園の、ある職員と出くわしたのです。
その人は娘さんと一緒に買い物に来ていました。
もう10年以上も前のことなのに、目が合った瞬間、心がざわつき、手が震えて、動悸が止まりませんでした。
それほどまでに、当時の出来事は今も私の心に深く残り、癒えることのない傷になっています。
初めての職場。そこで待っていたのは“パワハラ”でした
社会人1年目、私は保育士として初めての職場に就職しました。
担当は1歳児クラス。3人で担任を受け持ち、そのうちの1人がチーフ(リーダー)でした。
新しい環境で、期待と不安が入り混じる中、精一杯頑張ろうとしていた私を待っていたのは、”パワハラ”という現実でした。
そんな地獄のような日々はすぐに始まりました。
今思い返しても、「辛くなかった日」は顔合わせの初日くらいだったかもしれません。
右も左もわからない中、毎日必死に働いていた私に向けられたのは、常に鋭く睨むような視線、そして冷たく突き放すような言葉でした。
自分で判断して動けば、イラついた声で「いいから」と睨みつけられ、
確認・質問をすれば無視されたり、睨みながらため息をつかれたりしました。
その態度は、まるで子ども同士のいじめのよう。
そんな日々が毎日続きました。
悪口を聞こえるように言われることもありました。
あからさまだったので、他の先生たちにも伝わっていたはずです。でも、誰も助けてはくれませんでした。
あの人がいないときに「大変だね」と声をかけてくれる先生もいましたが、本人がいる空間ではあの人に同調するような態度を取る人がほとんどでした。
園長や主任でさえも、何も言わず、見て見ぬふりをしていました。
あの人からのパワハラと、表では冷たく、裏では優しい…まわりのそんな態度の繰り返しに、私の心はどんどん疲弊していきました。
あの時の孤独感は、今も忘れられません。
嘘を流され、孤立していった私
ある時、クラスだよりのことで、事実と異なることを言いふらされたことがありました。
私は、いつも下書きをし、チーフに確認をしてもらってから清書するようにしていました。
それなのに「確認もせず自分で勝手に清書してる。調子に乗ってる。」と、周囲に伝えられていたのです。
また、私がしていないことを「はっちゃんがやった」と噂されることも何度もありました。
それだけではなく、あの人自身のミスまで、私のせいにされたこともありました。
子どもへの対応にも違和感を覚えていました。
特定の子どもには優しいのに、気に入らない子どもには露骨に冷たい態度を取ったり、目つきが変わったり、力強く体を押したりする様子を何度も目にしました。
でも、私は何も言えませんでした。
怖かったのです。
「大学出てるから調子に乗ってる」そんなことを聞こえるように言われたこともありました。
自分から大学のことを話したことなんてないのに。
毎日繰り返されるパワハラに耐えきれず、息苦しくて、その空間にいることが辛く、休憩時間には、一人倉庫にこもって泣いていました。
涙を流しながら過ごした1年間のなかで、思い出せないことがある理由
1年間の地獄の中で、されて辛かったことは数えきれません。
でも、不思議なことに「いつ、どんな状況だったか、何を言われたか、何をされたか」といった詳しいエピソードは、あまり思い出せないのです。
はっきりと記憶に残っているのは、あの睨みつけるような目つき、イラついた声のトーン、怒鳴るような言い方、突き放す態度。
そしてすごく辛かったという感覚。
それがずっと私の心の中に焼きついています。
今思うのは、きっと気づかないうちに、自分の体が心を守ろうとしてくれていたんだろうということ。
辛いから、傷付くから、詳細を忘れるように記憶の一部を、無意識に封じ込めていたのかもしれません。
「妬みだった」と言われても、納得できなかった
1年が経ち、退職する日、聞かされた言葉があります。
主任の先生に
「あなたが大学を出て教員免許も持っていたから、妬んでしまったんだと思う。頑張って耐えたね。」と笑って言われました。
……その言葉を聞いて、私は一瞬言葉を失いました。
……なに?それ。そんなことで?妬ましいからっていじめていいの?
それを理由に許せと言うの?
頑張って耐えたねってなに?
その瞬間、あの人に対して、そして職場全体に対して、怒りと悲しみ、そして深い絶望がこみ上げてきました。
保育士という、子どもを守り育てる立場にある大人たちが、どうしてこんな幼稚な理由で、人を追い詰めることができるのか。
今、私は当時のあの人の年齢を越えて思いますが、あれは“指導”でも“教育”でもありません。ただのパワハラでした。
私は心の底から思いました。
「こんな人にだけは、絶対になりたくない」と。
毎朝、涙が止まらなかった。体と心が限界を迎えるまで
あの頃の私は、毎朝涙が止まりませんでした。
寝ながら泣いていたこともよくありました。
心療内科に通っていて、薬を飲みながら、なんとか出勤していました。
母は「辞めてもいいよ」と言ってくれました。
でも当時は、パワハラなんて言葉はなかったですし、
「社会人1年目は辛くて当然」
「途中で辞めたら次の就職に響く」
そんな固定観念に縛られていた私は、「辞める」という選択肢が見えていませんでした。
だから私は、「せめて1年は…」と、ひたすら耐え続けてしまったんです。
今思い返すと、あれは完全にパワハラだったと思います。
そして、限界を超えた体が悲鳴を上げた
ある夜、目を覚ますと、知らない男性が私の顔を覗き込んでいました。
救急隊の方でした。
「お名前は?」
「生年月日は?」
「今日は何日ですか?」
名前だけは答えられましたが、それ以外は何も分かりませんでした。
そのまま救急搬送され、病院へ。
運ばれながら、ぼんやりと、近所の人たちがサイレンの音に集まってくる様子を眺めていたあの光景。
今でもはっきりと覚えています。
今なら思う。「もっと早く逃げてよかった」と
あの日、気付かないうちに私の体は限界を超えていました。
心も、ボロボロでした。
だから今は、こう思います。
「もっと早く逃げていればよかった」と。
今、苦しんでいる誰かへ
この記事を読んでくださった方の中には、同じように悩んでいる方がいるかもしれません。
もしあなたが今、職場で苦しい思いをしているなら──
どうか、自分を責めないでください。
そして、「逃げること」は決して悪いことではありません。
私の体験が、少しでも誰かの助けになれば嬉しいです。
次回は、私が救急搬送されたその後のことを書きますね。