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社会人1年目、パワハラで救急搬送。逃げる勇気が命を守る。

こんにちは、はっちゃんです。😀

前回の記事では、社会人1年目の私が初めて勤めた保育園で、パワハラが原因で救急搬送された体験を書きました。

今回はその続きと、「逃げることの大切さ」についてお話しします。

救急車で運ばれたあの日

救急車の中で、私は何が起こっているのか分からず、夢を見ているような不思議な感覚でした。

サイレンの音。

「今、病院に向かっていますからね」

「手をぎゅっと握ってください」

という救急隊の方の声と、心配そうに覗き込む母の顔…それらをぼんやりと眺めていました。

突然の意識喪失

私が倒れたのを最初に見つけてくれたのは弟でした。

一緒にテレビを見ていると、急に、眠るようにすーっと倒れたそうです。おかしいと思った弟はすぐに

「お母さん!姉ちゃんがおかしい!」と叫びました。

両親が駆けつけ、私の意識がないことに気づき救急車を呼びました。

病院でのやり取り

病院に到着すると、母は動揺しながらも必死に私の状態を説明していました。

医師からは「過去に気を失ったことはありますか?」と聞かれ、母は「小さい頃に一度だけ熱性けいれんで倒れたことがある」と答えたそうです。

救急隊の方が病院に「てんかんです」と伝えたようですが、私も両親もそんな診断を受けたことはなく驚きました。

結局、医師からは「疲れが出たのでしょう」と言われ、その日は一日入院となりました。

「明日は仕事に行かなくていい」安堵と不安

倒れたことの不安よりも、「明日は仕事に行かなくていい」という安堵のほうが勝っていたのを覚えています。

同時に「職場にどう連絡しよう…」という不安もありました。

その後も私は、1年が終わるまで働き続けました。環境も何も変わりませんでした。

限界だったのに、「1年は続けなきゃ」という思い込みで自分を追い込み続けたのです。

温かい職場でも蘇る辛さ

1年でその職場を辞め、学校へ転職しました。

今度の職場は温かい人たちばかりで、少しずつ笑顔を取り戻しました。

しかし、環境が変わっても、心に刻まれた記憶はきれいには消えないことを知りました。

ある日、学校でカウンセリングを受けたとき、保育園時代のことを話す機会がありました。話していると当時の記憶がどんどん蘇ってきて涙が止まりませんでした。

忘れられない顔との再会

さらに、転職先の学習発表会の日、教室に戻ると、クラスの子の保育園の先生が見に来ていました。

その顔を見て、私は愕然としました。

地獄のような日々を過ごした前職場の職員だったのです。

とても辛く、心がざわつきました。

その人は何も覚えていないかのように笑顔で子どもを見ていて、した側は何も覚えていないという現実に、怒りと悔しさが込み上げました。

数年後に知った「大きな代償」

あの救急搬送の日は、後になって大きな意味を持つ出来事だったと気づきます。

当時は「疲れで倒れただけ」と思っていましたが、数年後、それが病気のきっかけだったと分かるのです。

無理して頑張ると壊れるのは自分

当時の私は「社会人1年目だから」「辞めたら次に響く」と思い込みに縛られていました。

でも、その1年の我慢が心も体も壊し、その後の人生にまで影響を及ぼすことになります。

逃げることは負けではありません。

生き延びるための大切な選択です。

もし今なら、私は迷わずその道を選びます。

あなたの心と体は守っていい

もし今、職場や人間関係でつらい思いをしている方がいたら、どうか覚えておいてください。

あなたは逃げていい。

我慢しないで。

壊れてしまう前に、自分を守ってください。

自分を一番に大切にしていいんです。

「我慢」は必ずしも美徳ではありません。

命や健康を削ってしまうこともあるのです。

そして、我慢はあなたの未来に大きな代償を残すかもしれません。

同じように苦しんでいる人がいたら、迷わず逃げて欲しいです。

数年後に私が気づいたその代償については、また別の記事でお話ししますね。😊

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